2022/09/01

めちゃくちゃおいしくない?
あの日、粟島「一人娘」に出会ってしまったカルビー社員と島の人々の話

日本海に浮かぶ離島・粟島(新潟県)には、島の人々に愛される在来種の青大豆があります。

その名も「一人娘」。

農家さんの手で愛情たっぷりに育てられ、代々受け継がれてきた「一人娘」は、粟島自慢の農産品として皆に愛されてきました。

一方、粟島の人口は1955年の885人をピークに減りつづけ、現在は約350人に(令和2年国勢調査)。粟島浦村は国内でも4番目に小さな自治体であり、このまま生産者の減少が続けば「一人娘」の未来も危ぶまれる状況にありました。

そんな粟島から遠く離れた東京でのこと。ある日、カルビーの商品企画会議で、新商品を開発しようとする面々が、全国から取り寄せた豆を試食していました。

数種類の豆のなか、静かに並んでいた「一人娘」にそっと手をのばす社員たち。

「この豆、めちゃくちゃおいしくない?」

その瞬間が「miino 粟島一人娘プロジェクト」が動き出すきっかけとなりました。

その豆が育つ島を見てみたい。島に向かったカルビー社員が島の人々と出会い、新たなチャレンジをスタートさせたあらましを紹介します。

カルビー、粟島の極旨農産品「一人娘」と出会う。

豆の素材を生かしておいしくてヘルシーな、おいしいおやつをつくるー。

そんなコンセプトで生まれた人気のスナック菓子「miino(ミーノ)」の参考に、ある日、マーケティング本部CX戦略チーム・藤東亮輔(ふじとうりょうすけ)は、社内のメンバーたちと全国から取り寄せた豆を食べ比べるなかで、1種類の豆に心を惹かれました。

<藤東>
「それが『一人娘』でした。素材だけですごく甘みがあり、加工すればさらにおいしくなるに違いないと思って、試しに『miino』をつくるラボで揚げてみました。そうすると、まるでお豆腐屋さんのような匂いが辺りに漂って、隣の開発チームまでもが『何してるの?』と集まってきたんです。

「これはすごい豆だ」。そう確信した藤東は一路、産地である粟島へ。

東京から新幹線と在来線、フェリーを乗り継ぎ、たどり着いた島で直面したものは、生産者の減少により「一人娘」の未来に頭を抱える粟島の人々でした。

最大の壁は、生産力の確保。

おどろくほど美味しい「一人娘」は、島の人口減少問題に直面していました。そこで、カルビーは皆で「一人娘」を育て「miino」をつくるアイデアを提案。その話を聞いた粟島観光協会事務局長の松浦拓也さんは、一筋の可能性を感じたと話します。

<粟島観光協会事務局長の松浦拓也さん> 「一人娘の生産能力が年々落ちる中で、村長も『粟島としてもなにか手を打たなければいけない』と話していました。そんなときにカルビーさんからお話をいただいたので、生産体制構築につなげられるのではないかと思いました」

カルビーは、2030年に達成を目指す「Next Calbee」と名付けられた3つのビジョンを掲げています。

そのひとつ「Be Local」が目指すのは、地域に眠る素材を生産者さんとともに価値を磨くこと。「一人娘」に携わる以上、その生産や未来についても自分ごととして考える必要があります。

しかし、現実は想像以上に深く重たいものでした。そこで行なった粟島の皆さんに向けてのプロジェクト説明会で「覚悟が決まった」と、藤東は振り返ります

<藤東>
「島の方から言われた言葉が忘れられなくて。『カルビーが取り組むことはありがたいが、目前に高齢化という課題があって、生産者がやめていく中で、どう実現させるのか?』と。そこで分かっていたつもりになっていた自分を反省して、この取り組みで最大の壁は担い手の確保であり、それをいかに解決するかなんだと強く実感しました」

覚悟を胸に、プロジェクトがスタート

覚悟を決めたカルビーは2022年の初夏、粟島の人々と共に「一人娘」を「miino」ブランドとして商品化するとともに、未来に向けて生産拡大を目指すプロジェクトをスタートしました。

まずは粟島の人々と共に耕作放棄地を開墾し、種まきや雑草刈りを実行。一連の作業は、島の人々を含めた30人以上の老若男女で行いました。

皆で汗を流し、「一人娘」を育むための一歩を踏み出したカルビーの面々。

しかし、ここは過疎化が進む小さな島。これだけの人数で「一人娘」が持続可能になるかといえば、そうではありません。

カルビーの看板商品、ポテトチップスの生産を支える存在には1800戸のジャガイモ農家がありますが、「一人娘」は人口350人の島で生産される希少な農産品。カルビーの挑戦は、やはり地域に寄り添う「Be Local」でしか成し得ません。

miinoをきっかけに粟島に人を呼び込みたい

カルビーでは、ファンと生産農家と一緒にじゃがいもを収穫し食べる体験ツアーが人気を博していました。

それならば「一人娘」で「miino」をつくる過程でも、多くのファンが粟島にふれるきっかけをつくれると藤東は考えました。

<藤東>
「粟島のツアーを通して、地域の人とふれあって農業体験をすることが、参加者の思い出になれば、またプライベートで来島するきっかけになる。一人娘という豆を通して関係人口を増やせるのではないかと思いました」

粟島では島内の小中学校で本土からの児童を受け入れる「しおかぜ留学」も行われています。

初年度の種まきや草取りには、しおかぜ留学の留学生たちも参加。miino「一人娘」の商品化をきっかけにたくさんの人々が島を訪れるなら、こうした島の取り組みとの相乗効果も期待できそうです。

ちなみに、小さな島にとってはカルビー社員やファンの皆さんも大事な「島の関係人口」。藤東はじめ、プロジェクトメンバーもそれぞれが島との縁を深めてきました。

<藤東>
「粟島で何より良いのは『人』。行くたびにいろんな人に声を掛けてもらえるんですよ。東京の家族にも気付くと『あのばぁばがね…』と粟島の話をしていて、第二の故郷になっている。島の人からすると、いきなりカルビーという会社がやってきて『いっしょに一人娘を栽培しませんか』って訳が分からないじゃないですか。それでも少しずつ信用を得てというか、いっしょにやろうとしてくれることがうれしい。絶対に裏切ることはできないな、と思います」

「この豆、めちゃくちゃおいしくない?」

そんな会話からスタートした粟島一人娘プロジェクトでは、粟島での活動前に毎回、社内からの参加者を募っています。

一人、また一人と粟島に渡り、島の人々とふれあい「一人娘」を育てる時間を経験した社員は一様に「なんで藤東が粟島でやりたいと言ってるか分かった」と口にしています。

11月のツアーでは粟島のまぼろしグルメも

初夏に蒔いた「一人娘」のタネはその後すくすくと成長。11月に迎える収穫には、カルビーのファンや粟島に興味関心のある一般参加者も参加できるよう、募集型の収穫ツアーを企画しました。

ちなみに11月の粟島は観光としてはオフシーズン。けれど、そんな時期だからこその楽しみがあるのだと、粟島観光協会事務局長の松浦拓也さんさんは語ります。

<松浦さん>
「粟島のオンシーズンは7月後半から10月中旬。そもそもコンビニもないし、事前に調べておかないと食事にもありつけない。でも、都会に住んでいる人にとって、普段の便利な生活からちょっと外れる体験ができることはある意味で魅力なんじゃないかなと思っています」

小さな島の環境は、都会暮らしの人にとってはハードな面もあるかもしれません。しかし、そんな島だからこそ、ふれあえる人との時間があり、味わえるグルメがあります。

粟島で生まれ育った戸田トキイさんも、島の名物や「芋だこ」や魚をぬか漬けにしてつくる「しょがら」について教えてくださいました。

<戸田さん>
「ずっと前に息子の知り合いが島に来たんですよ。でも帰る日に運動会があって民宿ではご飯を出さないので、うちにお昼食べに来いと言ったんです。そこで『しょがら』を食べさせたら、翌年やって来て『また食べたい』と言ってね。それから10年くらい送ったの」

粟島で「一人娘」を収穫して人々とふれあって、「しょがら」を食べれば、また翌年には粟島に来てしまう。そんな魅力を秘めた粟島の収穫ツアーにはどんな人が集まるのでしょうか?

粟島の人と、粟島に集う人々が手塩にかけて育てた「一人娘」の予定収穫量は、年間400キログラム程度というわずかなもの。そんな希少な豆でつくる「miino」の発売時期は2023年4月を予定しています。

粟島の「一人娘」がどのように育ち「miino」として生まれ変わるのか。
皆さんもどうぞお楽しみに。