2023/12/25

【収穫レポート】粟島の中と外。みんなで向き合う「一人娘」の課題と未来

2023年11月に開催を予定していた今年の「一人娘」収穫ツアーは、海が大荒れで泣く泣く中止となりました。これも自然と寄り添い生きる島のさだめ......。さらに、その後予定していた新潟大学の学生さんによる作業支援も中止となり、今年の収穫作業は島のみなさん頼みとなりました。しかしながら、少しでも作業のサポートがしたい! と考えたメンバーは、さやもぎや選別作業のお手伝いをするべく、12月初旬に粟島へ。1泊2日で行われた作業の様子を、これまでのツアーにも参加してきた新潟市在住のライター・ヤマシタナツミさんがレポートします。

ライター|ヤマシタナツミ
新潟市生まれ。新潟大学農学部卒。「人と地域の未来をつむぐ」をテーマにライティング、イラストレーション、小説創作をしています。

Webサイト https://www.yamashitanatsumi.com

ツアー中止、欠航を経て、たどり着いた粟島

11月中旬、ちょうど収穫ツアーの準備を進めていたときに、ツアー中止の連絡が飛び込んできました。全国的に大荒れのニュースが出るほどの天気で、残念だけど仕方ない……と納得しようと思いながらも、「収穫時期を迎えた『一人娘』はどうなってしまうんだろう?」と、心が落ち着きませんでした。

その1週間後、カルビーさんから「関係者のみで選別作業のお手伝いに行きますが、取材可能でしょうか?」という連絡が。「ぜひ同行させてください!」と答え、取材することになりました。ところが出発を予定していた12月3日の便も再び海が荒れて欠航に。急遽予定を調整して12月4日に出発を繰り越しました。

そして迎えた12月4日の朝。粟島汽船のホームページに「予定通り出航」の文字が!
船が出ることをありがたく感じながら、フェリーに乗り込みました。

フェリーは大きく揺れることもなく順調に日本海を進み、粟島港に到着。港では、朝6時の臨時便で先に着いていたカルビーの皆さんが待っていました。

ちょうどお昼の時間だったので、粟島港のそばの「カフェそそど」で昼食をとりました。私がいただいたのは特製のフィッシュカレー。魚は冬に旬を迎えるブリです。スパイシーなカレーで午後からの作業に向けて、元気をもらいました!

収穫量は昨年の2倍以上!作業量も2倍以上?

昼食後、「一人娘」の畑に向かうと、一面が収穫を終えてすっきりとした様子になっていました。

ツアー中止や欠航も経験し、ようやく畑に来られた「一人娘」の畑。関係者のみですがmiinoポーズで記念撮影。

写真手前にあるのは、豆をとった後の枝とさやです。

収穫したときの様子を、粟島観光協会・事務局長の松浦拓也さんに教えていただきました。

松浦さん
「収穫は11月20日から30日までのうち、5日ほどかけて行いました。刈り払い機を使って根本から刈る感じですね。刈った枝は、葉を取った方が乾燥させやすくなるので、島のお母さんたちに葉を取ってまるけて(束にして)もらっていたんですけど、量が多いのでなかなか進まなくて……。途中からは、葉がついたままでまるけてもらいました」

畑の端には、枝を天日乾燥させるためにつくったやぐらが残されていました。

松浦さん
「本当は畑で豆を乾燥させて、脱穀まで終わらせる予定でした。畑で脱穀できれば、脱穀後に残るさやと枝を、畑の土にすき込むのもスムーズになるんです。でも天候不良で豆が乾かなかったので、昨年の収穫ツアーと同じように学校の軒下に移すことにしました」

豆を乾燥させているという学校に移動すると、軒下にはたくさんの「一人娘」が並んでいました。

昨年よりもずいぶん多く見えたので、収穫量をお聞きすると、目標にしていた昨年の2倍を越えそうとのこと。たくさん収穫できたことをうれしく思うと同時に、少し不安になりました。

昨年の収穫ツアーでは、収穫・乾燥までしか行いませんでしたが「一人娘」を出荷するにはさらに、「さやもぎ」、脱穀、選別といった作業を行う必要があります。

昨年よりも収穫量が多くなったということは、収穫後の作業量も多くなることを意味します。「作業できる人の不足という課題があってスタートしたプロジェクトなのに、島の人たちの負担が大きくなってしまうのはどうなんだろう?」と、気になってしまいました。

収穫後の「さやもぎ」、脱穀、選別作業

畑と学校を見学した後、収穫後の作業のお手伝いをするために島の人たちが「加工場」と呼んでいる施設に行きました。

作業を始める前に、「さやもぎ」、脱穀、選別をそれぞれ見せていただきました。

【さやもぎ】
「さやもぎ」は枝から豆のさやをはずしていく作業です。作業場は倉庫のように広く、暖房のない部屋だったので、島のお母さんたちはズボンを二重に履くなど防寒対策をしていました。

【脱穀】
「さやもぎ」ではずしたさやを脱穀機に投入し、さやと豆を分ける作業です。写真右上に脱穀機の投入口があり、投入口の近くにある排出口から豆を出す仕組みになっています。写真手前の大きな袋に入っているのは、脱穀後のさや。この日、脱穀した分だけでもすごい量でした。

【選別】
脱穀された豆は、品質のよいものとそうでないものが混ざっている状態なので、選別作業を行います。選別は一人ひとりの目が頼り。トレーに豆を入れ、見た目で良品・味噌用・不良品(堆肥用)の3種類に分けていきます。

良品はさらに乾燥させるため、重ならないように網の上に広げておきます。ここまでが選別チームの作業です。

「さやもぎ」、脱穀、選別、について教えていただいた後、私は「さやもぎ」チームに加わりました。難しい作業ではないのですが、量が多く、なかなか終わりが見えません…。みんなで、ひたすら手を動かし、枝からさやをはずしていきました。

黙々と作業をしていると「休憩しましょー」と声がかかり、休憩時間に。おせんべいやお菓子に加えて、島のお母さんたちが手づくりしたお饅頭やゼリー、畑でとれたサツマイモなどが並ぶ、豪華なおやつタイムになりました。

おやつで元気を補充したら、再び作業へ!それぞれのチームに戻り、残りの作業を進めました。

「みんなでつくること」の大切さ

私が粟島「一人娘」ツアーに参加させてもらってから1年。粟島や「一人娘」に関わることが楽しくてここまで来ましたが、ツアーを受け入れてくれる島の人たちはどう感じているのだろう? と思い、作業の合間に、島のお母さんたちにインタビューをさせてもらいました。

Q.島のみなさんは、どんなきっかけで「一人娘」の作業に参加したのでしょうか?

「粟島観光協会から町内に、作業する人の募集が『回覧』で来るの。その『回覧』に申し込んだ人たちが加工場に集まってね。最初のときは4人だったけど、だいぶ増えたよね」

Q.カルビーさんのプロジェクトに参加してみて、これまでと変わったことはありましたか?

「前は大豆を個人個人の畑で育てて、出荷したり、加工して「ばっけ屋(島のお土産屋さん)」で売ったりしていたけど。カルビーさんの畑がはじまってからは、みんなで育てる形になって。今までよりももっと『みんなでつくる』という感じになったかな。この取り組みがなかったら『しおかぜ留学(島外から粟島浦小中学校に入校・転校する仕組み)』の学生さんと一緒に何かすることもなかったしね」

Q.「一人娘」の生産のための作業は、大変ではないですか?

「自分の畑でも『一人娘』をつくっているから、カルビーさんの畑仕事はその延長線みたいな感じなの。ひとりだと大変だけど、仲間がいっぱいいるからね。仲間がいれば、豆もいっぱいつくれるし。「ばっけ屋」に並んだ時に、『私たちが関わったんだ』と思えるし。大変といえば大変だけど、充実感があるよ」

島のお母さんたちにインタビューさせてもらって、「みんなでつくること」をとても大切にしてくれていると、知ることができました。

作業が大変でも集まってくださるのは、つながりを大事に思っているからなんですね。

5年後、10年後につながる仕組みとは?

お母さんたちの気持ちをありがたく受け止めつつ、それでは、島の外にいる私たちはどんな風に関わっていけたら良いだろう?と思い、私と同じく、取材のため粟島に来ていた地元新聞社・新潟日報社の星龍雄さんにもインタビューをさせてもらいました。

星さんは2022年に開催された収穫ツアーなどに度々同行し、今回12月も取材のため粟島に来られました。プロジェクトに関わりながら感じたこと、考えたことを伺ってみました。

Q.粟島「一人娘」プロジェクトのことを初めて知ったとき、どう感じましたか?

「粟島とカルビー、という組み合わせに、仕事としてだけでなく個人的にも興味がわきました。粟島は新潟の人でもあまり行ったことがない離島で、カルビーは大企業。その取り合わせがまずおもしろそうだなと思ったんです。ぜひ現場を見てみたいと思いました」

Q.昨年(2022年)実際に取材してみて、いかがでしたか?

「粟島浦村は高齢化の進んだ限界集落で、かつ陸続きでない。その厳しい環境で『一人娘』を生産するには、生産のための労働力不足の問題とガッチリ向き合わないといけません。カルビーさんから『ファンに島に来てもらって、もっとファンになってもらって、労働力・応援団を増やしていく仕組みを作りたい』と聞いていて。収穫ツアーに同行したら、目指している形が現実に見えてきて、すごくいいなあと思いました」

【2022年の収穫ツアーで取材する星さん】

Q.今年(2023年)再び取材してみて、いかがでしたか?

「今年は残念ながら、『一人娘』のプロジェクトを続けていくための『島内外の人手不足』という課題が浮き彫りになりましたよね。天候不良でツアーそのものが中止になって、さらに、新潟大学から学生さんが来られたらと思っていたけれど、それも中止になって。結果として島のおばあちゃんたちが作業負担を負うことになりました。今年はそれでなんとかなるとしても、5年後、10年後はどうなんだろう?どんな形でお手伝いしていけたらいいのかな?と思いながら、今日の作業に参加していました」

Q.どんなことをしたら、粟島「一人娘」プロジェクトを続けていけると思いますか?

「過去にツアーに参加した人たちが、今も粟島に興味を持ってくれているようですし、ツアーは良い取り組みだと思います。でもツアーだけだと今回のように中止になることもあるので、他にも参加できる仕組みがあるといいですよね。例えば『人材バンク』のような形で、事前に登録した人に作業予定をアナウンスして、登録した人の中から都合の合う人が作業に参加できるようにするとか。柔軟に、楽しみも得られるような形で参加できる仕組みがあると、今よりもっとファンを増やせるんじゃないでしょうか。もしかしたら参加した人たちの中から、将来島に住みたいという人が出てくるかもしれません」

星さんにインタビューさせてもらって、5年後、10年後につながる「柔軟な仕組み」の必要性を実感しました。また粟島の中の人だからできること、外の人だからできること、それぞれあるのかな、と思いました。

粟島の中と外、みんなで課題に向き合う

12月5日の朝、帰りの船の時間となりました。
今年はツアーの中止で応募してくれた人たちが来られなかったり、短い滞在時間であまりお手伝いできなかったことが心残りだったり。今回の粟島訪問は、「一人娘」の生産を続けていくためのさまざまな課題と向き合う時間になりました。「粟島の中と外のみんなで取り組むことの大切さ」を踏まえつつ、島の外の人間として、できることを考えていきたいと思います。

今回、カルビーさんから「miino一人娘」のスウェットとバッグをいただきました。来年はこのスウェットとバッグを身につけて、また粟島に来たいと思います!

そして後日、新潟日報社の星さんからうれしいお知らせをもらいました! 星さんは新潟県内のSDGsに基づく企業活動・地域づくりを推進する「SDGsにいがた」の事務局も務められており、12月23日に開催された「にいがた環境フェスティバル2023」の会場で、「SDGsにいがた」として、粟島「一人娘」プロジェクトのことを紹介してくださったそうです!

さまざまな形で粟島「一人娘」プロジェクトを知る人が増えていき、粟島の中と外のつながりが末長く続いていきますように。これからも粟島とのつながりを持ち、「一人娘」、miinoに関わっていきたいと思います。