商品開発ストーリー

じゃがりこ開発物語じゃがりこ開発物語

01前例のないスナック菓子への挑戦

今やカルビーの代表的なブランド商品となった「じゃがりこ」。1995年の発売以来、多くの人に愛される「じゃがりこ」だが、1991年の開発スタート時は、たった5人のプロジェクトだった。開発のリーダーに選ばれたのは31歳の山崎裕章。
「当時、カルビーはそれまでのプロダクトアウト的なやり方から離れ、より生活者に求められる新商品をつくろうとしていました。そんな中、アイデアとして挙がったのが『屋外消費型』のスナック菓子。当時の主流だった袋入りではなく、持ち運びに便利で手が汚れず、食べやすいカップに入ったもの。それも、生のじゃがいもにこだわった新しいスナック菓子をつくろう、ということが目標になったんです」

025名のメンバーから始まった、新しい革新

当時、カルビーは経営陣が世代交代し、新商品・新規事業は戦略上、重要な位置付けとなっていた。さらに、「屋外消費型のお菓子」は、マーケティング調査の分析結果に基づくアイデアだった。開発リーダーを任された山崎は、当然プレッシャーも感じていたという。
「当時、自分は既に2つの商品開発に携わっていたこともあり、リーダーに選ばれました。マーケティング担当、設備担当などを含め、メンバーは5人。自分と同じ31歳が2人いて、他の3人はまだ入社2年目のメンバーでした。ただ、若いメンバーではありましたが、全員が頑固で負けん気が強かった。開発が本格的に始まったときにこの性格が生きてくるのですが、当時はまだ分かりませんでしたね」
また、「生のじゃがいもを蒸して油で揚げる」というお菓子は当時カルビー社内でも例がなく、挑戦と失敗の連続だったという。
「まずは、手づくりの段階からスタートしました。じゃがいもを蒸して油で揚げるのですが、最初はガリガリに堅くて食べられたもんじゃなかった。そのため、食感が良くなる素材を探しては試作を繰り返し、良い素材が見つかれば、今度は数%ごとに入れる量を変えてベストな割合を探す。そんな途方もない作業が延々と続きましたね」

03原料に、機械に、挑み続けた数年間

「食感も製法も「じゃがりこ」はそれまでのスナック菓子とは異なる存在。カルビーでもまだ誰もやったことがないことへ挑んでいるわけですから、開発中は困難の連続でした。でき上がりにバラつきができるのは、その代表的な例。原料となるじゃがいもも生きているので、同じ品種でも熟度や貯蔵環境によって状態は大きく変わります。例えば、芽を出す時期が近づくとでんぷんが糖に変わります。そのため全く同じ条件でつくっても、バラつきが出てしまうんですね。また、「じゃがりこ」は製造にあたって複雑な工程を必要とするので、調節が難しかったことも大きな要因です。苦労して調節を重ね、上手くいっても、次の日に同じようにやると全く違う油っぽいものができてしまう。当時は理由が分からずとても苦労したのを覚えています」
さらに、製造現場である工場の方々の協力も不可欠だったという。
「新しい商品で複雑な工程ですから、「じゃがりこ」はイレギュラーな存在です。安定した製造とルーティンワークを大切にする工場の方々には、一般的にあまり歓迎されませんが、協力を得られたのも大きかったと思います」
解決策が見えない困難と、度重なるトラブル。メンバーの心労には終わりがなかった。

04挑み続けた負けん気の強さの先で、「じゃがりこ」は生まれた

そんな困難を乗り越えられた理由こそ、メンバー全員が持っていた頑固さや負けん気の強さだったという。
「これはどんな仕事にも言えることかもしれませんが、壁にぶつかった時に諦めてしまうか、諦めずにやり続けるかのどちらかで将来が決まります。当時のメンバーは、困難に負けないだけの想いや挑戦心があったんだと思いますね」
1995年に、ついに「じゃがりこ」は発売。その後も5つに渡る工場の立ち上げに関わるなど、山崎は多くの挑戦を続けてきた。
「今でも商品開発のメンバーに言っていますが、商品開発では『観察して違いを見つけること』が大切です。なぜ上手くいかなかったのか。なぜ上手くいったのか。そこにある差異を見つけることから、次の道が見えてくると思います。壁にあたってからがスタートです」
「じゃがりこ」はカルビーの代表的なブランドとなった。
「人間と一緒で、商品にも成長曲線があります。そういう意味では、「じゃがりこ」は現在でも育て続けられている商品です。サラダとチーズからスタートしたラインアップも、Lサイズやたらこバター味といった新たな定番が加わりました。立ち上げの苦労が受け継がれ、順調に成長できているのかなと思いますね」

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