カルビーのDNA

一人・一研究

カルビー株式会社 創業者
松尾 孝

1912年生まれ 広島県広島市出身

01カルビーの歴史をつくった、一人の青年と一つの商品の物語

「未利用の食糧資源を活用する」。これは、これまでたくさんの商品を発売してきたカルビーの礎となる考え方です。主にでんぷんとして消費されていたじゃがいもを丸ごと使用し、おいしいスナック菓子に変えた「サッポロポテト」や「ポテトチップス」。そのポテトチップスの規格に合わないじゃがいもを、さらに活用することで生まれた「じゃがりこ」は、その一例。多くの商品を生みだすカルビーのDNAとも言えるこの考え方は、たった一人の革新家とたった一つの商品から始まりました。それが「カルビー創業者・松尾孝」と「かっぱえびせん」。1964年に発売され、やがて100億円規模の売り上げを達成することとなる「かっぱえびせん」、そしてそれをつくった松尾孝という人間の存在が、カルビーを中小企業から成長企業へと飛躍させ、その後もDNAとして継承される考え方の礎をつくったのです。ここからは、そんな「かっぱえびせん」の誕生物語をご紹介していきます。

02「一人・一研究」、一つの言葉が「カルビー」を生んだ

カルビー創業者・松尾孝の実家は、飼料や工業用米ぬかなどの製造・販売を営んでいました。孝が18歳にして家業を継いだ当時、折しも経営は危機に陥っており、莫大な借金を抱えた状態。資金もなく新しい取引も行えないまま、十代の孝は新たな事業の方向性を探っていました。そんな中、出会った一つの言葉が、カルビーのDNAとなる「未利用の食糧資源を活用する」ことに繋がるきっかけとなるのです。その言葉とは、孝が20歳の頃参加した青年団の講習会で聴いた「あなたたち若者は過去から未来を結ぶ鎖となり、人生をかけて何か一つでもいいから、後世に残しうる仕事を成し遂げなさい。『一人・一研究』」というものです。孝は、この「一人・一研究」という言葉に強く感銘を受け、当時、産業廃棄物だった米ぬかから健康食品をつくることを自らの「一人・一研究」にする、という夢を持つようになったのです。その後、孝は米ぬかから胚芽を抽出する機械を考案し、胚芽などに野草を混ぜて団子にして代用食として売り出しました。戦時中、苦しい食糧事情の中で孝が販売した団子は多くの人々に喜ばれ、カルビーのもう1つのDNAである「健康に役立つ食品をつくること」につながるのです。
社名の由来(「カルシウム」と「ビタミンB1」を合わせた造語)にもその想いが込められています。

旧広島工場

03かっぱえびせんの元祖、「かっぱあられ」の誕生

「未利用の食糧資源を活用する」という考え方は、その後も脈々とカルビーに根付くこととなりました。1945年、広島に原爆が落とされ、日本が終戦を迎え、会社はゼロからのスタートを余儀なくされました。1947年以降は、さつまいもと胚芽粉などを原料とする飴菓子やキャラメルの製造・販売で繁盛することになります。しかし、好調な時は長くは続きませんでした。その後、消費者の嗜好の変化による販売不振や災害により、会社は倒産の危機へ。しかし、孝の誠実で真摯な努力により、なんとか経営再建の目処が付きました。そこで孝は、ピンチをチャンスに変えるべく、飴菓子以外の新製品の開発へ取り組みます。
配給制で入手しにくく価格も高い米に比べ、アメリカから安く大量に輸入されていた小麦粉に着目したのです。成分は米とほとんど同じことが分かると「小麦粉でも米と同じようにあられが作れるのではないか」と考え、実験を重ね、1955年に日本初となる"小麦あられ"、「かっぱあられ」が誕生しました。「かっぱ」という語感の良さも手伝って、「かっぱあられ」は人気商品となり、孝は次々と新たな「かっぱ」シリーズの小麦あられを展開していきます。そしてそのシリーズの最後の商品として「かっぱえびせん」が登場することとなったのです。

04商品とともに受け継がれ続ける、革新のDNA

ある日、孝は瀬戸内海で獲れた小えびを海辺で干しているところを通りかかり、ハッとひらめきました。「えび獲り名人」。子どもの頃の孝は、そう呼ばれるほどえびを獲るのが上手く、また好物でした。近所の川で獲った小えびを母にまるごと天ぷらにしてもらう、それが何よりのご馳走だったのです。そのため、孝は直感的に「大好物のえびを小麦あられに入れられないか」と考えたのです。その後、困難を極めた試行錯誤を経て、ついに1964年、新商品「かっぱえびせん」を世に送り出します。この「かっぱえびせん」を作り上げた時、孝は「これだ!」と小躍りし「一人・一研究」が開花したと信じて疑わなかったと語っています。「自然のおいしさを丸ごと使用する」という、後年「ポテトチップス」や「じゃがりこ」にも続く考え方が、ここに確立されたといっても過言ではないでしょう。また、「かっぱえびせん」は製造面でも現在のカルビーの礎となっています。例えば、風味を保つために欠かせない条件の鮮度。他社に先駆けて最新の冷凍技術を導入し、浜で揚げたエビをすぐに冷凍することで、鮮度を保ったまま貯蔵することを実現しました。また、マーケティング面も同様で「やめられない、とまらない。」に代表されるCMを中心とした広告活動で、ブランドを確固たるものにしました。ロングセラー商品となった「かっぱえびせん」。ひらめきと挑戦を繰り返し、革新を起こし続けた松尾孝のDNAとともに、これからもカルビーの大切なブランドとして成長し続けます。

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